H それでなんでBo Gumbosをやったの?
K そうやってるうちに、どんとから電話がかかってきて、バンドやろうかって、急に。
H はーん。それまではKYONはさ、なんかバンドやってたの?
K うーん、主に京都でdoctorっていうのをやったり、あとは何だろう…
京都の村八分であるとか先輩のバンドがいっぱいいてて、いわば残党というか。
その流れの人たちと知り合いになり、ま、一緒によく遊んでいたというたほうがいいのかもしれない。
H 真剣にやってたのもあって?
K 真剣というか、まぁ、真剣は真剣でかなり、すっごい大人な世界だったけど、あのなんて言うんでしょうね。
そんなむちゃくちゃシーンとして盛り上がっていたわけじゃないから、付き合いはあってすごい良い経験はしたけど。それ自体は。
H うん。
K だから、これをやっていたというより、
もういっぱいやってたって感じですね。その頃は。
H それで、どんとに呼ばれて、でもその時、映像の仕事やってたわけでしょ?
K うん。ちょうど2年位した時で、そこで…
H で、映像をやめて。
K うん、ちょっと待って(葉巻になかなか火がつかず)。
H (笑)Bo Gumbosを結成。
K うん。
H それもやっぱり1秒で決まったんだ?
K うん、それは早かったですね。だから、その番組の流れでちょうどそういうのがやりたいなと思っていたから。
H あ、本当。で、その時、永井(利充)君とか岡地(明)さんとは初めて?
K うんうん、永井君は、だからローザやってたから、知ってて。
H ああ、そうかそうか。
K だから、東京に来て初めてローザのセカンドで、スタジオのレコーディングの仕事を生まれて初めてやったのはローザやし。
アコーディオン担いで行ってね、今でも憶えてるなぁ。
H ふーん。それでBo Gumbosがエピックでデビューしたわけだけども、そこからは僕と知り合うようになって。
そのころのエピックの方針として、ビジュアルをかなり大事にしていたからいっぱい撮ったよね。
その、常盤座からはじまって。
K そうですね。その次の年からフリーコンサートを年に1回やろうと決めて。
だから「HOT HOT GUMBO」っていうタイトルで(19)90(年)、91、92、93か。94まで、ずーっと。
なんせ来年どうしようかくらいの感じで、毎年、それはそれはおもしろい。(笑)
H ははは。(笑)
K いろんな場所で。(笑)
H いや、いっつもおもしろいよね。(笑)京都パレードしたりさ。
K あれはもう、極めつけですよね。あれはすごい。
H ねぇ。あれは俺走ったよ。(笑)一緒に。
それとか下田の海岸ねぇ。台風一過の後でね。おもしろいよねぇ。
あれはだいたい誰が考えてるの?
K 誰が考えてるんですかね?
H 瀬戸さんとさ、(坂西)伊作とか?
K いやでも、伊作とどんととじゃないですかね。
最初は漠然とフリーコンサートっていう感じやから公園な感じがするじゃない。
なんか、代々木で一回目やったけど、(山口)冨士夫ちゃん入れてね。
H うーん。
K 最初のイメージでやっぱりハイドパークとかああいう向こうのフリーコンサート。
広い公園に人がいっぱい来てるっていう。
H うんうん。
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