KYONインタビュー 第一回
at シガー・バー シャドネィ 2002.12.2


HAYASHI(以下H) お願いします。えーっと、まず、俺とKYONとの関係から話していきたいと思います。
一番最初にKYONと俺が会ったのって、
俺の記憶ではBo Gumbos…
KYON(以下K) ですよね。
H だよね。Bo Gumbosのね…
K 常盤座。
H そうそうそう、あの時から。あの時に見てすごい派手な人だなぁと思って。
K 俺がというよりは、まぁ、ボーカルとかベースの二人のメンバーが一緒にいるだけで派手にみんな見える。
H だよね。
K 才能を持った、特に二人はそうだったから。89年か、常盤座。春くらいでしたね。
H うん、そうだね。
K Bo Gumbosがちょうどビデオを先にエピックから出そうという、まぁ平行してアルバムを作ってたんだけど、なんせ、ビデオを取りたいと。今はもう無いんですよね? 常盤座。きっとね。
H ないよねぇ。
K そこで貸し切りですよね。昔の、なんて言うんですかね、いわゆる…
H 寄席とかそいうの?
K 寄席あり、なんか大衆的だって言うんですかね。そういうのとか、かけてそうなところだったよね。
H あれ結構斬新だったよね、なんか。Bo Gumbosと常盤座っていうとね。
あ、そうそうそう、その前に、常盤座の前に、エピックからデビューの前に、昔、芝浦のインクスティックってとこで。
K ああ、そうか。
H やったのを撮った憶えがある。その時は各レコード会社のいろんな人が来てさ、争奪戦があってさ。
どこに決まるんだろうみたいな。そうそうそう、それが一番最初だ。
K そうかそうか、そうですね、芝浦のインク(スティック)で割と定期的に。
H やってたよね。
K やってて。
H すっごいバンドだなぁと思って。その前はKYONはどうしてたの?
K 直前ていうことになると、僕は日経映像という日経新聞社の、
H そうなんだよね。
K 会社で、だからマスコミっちゃぁマスコミなんで。まぁ、堅気じゃないですけども。テレビ東京の番組の制作会社ですね。
H 映像やってたんだよねぇ。
K 映像ですね。だから27(歳)にして、えぇ、8か、8くらいで突然。僕、京都に住んでたんですけど、
H うん。
K 突然飛び込みまして、そこに。27、8(歳)でADやるのは大変でしたけど。(笑)
H そうだよね。(笑)
K まぁ、そっからスタートして。で、ちょうど「私の履歴書」っていう番組が、これはおもしろい番組だったんですよね。
H へぇ。
K いろんな人と会えてね。
H へぇ。
K それこそ、第一回、本田宗一郎。
H へぇ、すごい。
K つづいて、将棋の大山名人とか、井深大さん。
H へぇ。
K 井深さんなんてね、まぁ、のちのちSONYなんで。
H うんうん。
K 関係してくるし。で、武原はんさんとかその辺の、もう今は本当ね、お亡くなりになった方ばかりですけど。
H うんうんうん。
K そうこうしているうちに朝比奈隆さんとか、あのクラシック指揮者の。
H うん、うん。
K あと服部良一さんとか。
H へぇ。
K あと画家の東山魁夷さんとか。
H うんうんうん。
K その辺の、取材じゃないと絶対会えないような人たちに会ったのがやっぱりすごい、なんかこう、沸々と燃えるものが。
H へぇ、それはすごいいい経験だったね。

 


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