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林:最近はディスカバリーチャンネルだとか、ドキュメンタリー志向の物がかなり受け入れられている。
僕がちょっと危機感を持っているのは、あまりにもそれが行き過ぎていて、
ワイドショウではないけど、真実をやっぱり見たがっている、見れない部分を見よう見ようとする
視聴者の心理ってあるじゃないですか、そこの部分が、ドキュメンタリーにいっているような気がしていて。
今は例えば、誰かが鉄砲で撃たれる瞬間は見えない。
死にましたっていう死体が運ばれるところまではオーケー。
そのうち、撃たれる瞬間も見たくなる視聴者の心理が働いてくると、これはかなり恐いものになってくるなって僕は思うんですよね。
例えば佐野さんのビデオ、ドキュメンタリーとかを撮っていたとしても、今はこの程度で皆さん満足してくれて、でもじゃ次は何が見たいかっていうと、今まで見たことがない佐野元春を見たいっていうファン心理が働いてくると思うんですよ。
それを何処まで僕らが見せられるかという部分が、かなり大きなポイントになってくるじゃないかなと思うんです。
佐野:そこはポイントになってくる。
先程僕は、ドキュメンタリー作家に求められる素養というとこをいくつか出したと思うんだけど、一番最後にすごく重要なことを言ったんだけど、人生や世界に対するユーモアのセンスを持っていなければいけない。
これ僕の持論だけね。
まじで人が殺されるところをドキュメントする、そこにユーモアのセンスがあるかどうか。
ないね。悪趣味。そしてその悪趣味で、お金儲けをしようとする連中達はたくさんいるよ。
だけど僕はそうしたグループには入らない。僕はね。
入りたいやつは入れ。悪趣味以外の何ものでもない。センスがない。
林:うん
佐野:でもそれで興奮したりする人もいるんだよ、世の中ね。蓼食うなんとかも好きずきだよ。、、、、
でも僕らがそんなことを心配する必要は全くない。
世の中自由なんだから、そういうのが見たいって人は、それ専門のインターネットのサイトでも行って、ひとりで興奮してればいいんだよ。
林:(笑)
佐野:そのドキュメントが世の中に公開されて、そしてそのドキュメントが背負う役割とは何か。
作った人間としては、そのドキュメンタリーフィルムを何処に着陸させるか。
どんな映像、どんな音楽、どんな表現も社会の関わりの中で機能するもの。
見る人がいなかったら、聞く人がいなかったら、そんなもん作る必要がない。
ある一人に君はどう思う?僕はこう思うんだけどって、問いかけをしたいから、人は音楽を作り、映像を撮るんだよ。
まず、人に問いかけたかったら、それなりのビヘイビアをしろということだよね。
礼儀といったものがあっていいと思うのね。
人に問いかけるんだったら。
林:以前、佐野さんに、映画監督っていうものはやらないんですか?って聞いたら、やりたいんだけど、そのプロの人達に失礼だから僕やらないっておっしゃってましたけど。
佐野:失礼だからっていうのもあるけど、その彼は映像表現っていうものを十代の多感な時から日々格闘し、悩み、一生懸命やってきてるオーソリティなの。
僕は音楽と格闘してきた。もちろん映像も好きだけどね。
映像、音楽どっち?って言われたら音楽を選択してやってきた。
だから、まぁなんていうのかな、ひとつお家を建てるのもトンテンカンコン、トンカチ打つのがオーソリティなのもいれば、壁塗りのオーソリティがいるわけだよ。
僕が打つのが得意だとしたら、映像の人は壁塗りの専門家なのかなってそんなかんじだよね。
二人で協同して、いいお家建てようよってそういうかんじじゃないかな。
それを僕がトンテンカンテンやってる先からだよ、なんだよその壁の塗り方は。
俺にやらせてみろってピューって塗り出したらば、失礼でしょ。
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